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浜松の経営者が体験したお役立ち情報をまとめます。

今日の寄り道は雲立楠の浜松八幡宮と椿姫観音の祈願石



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今日の寄り道は雲立楠の浜松八幡宮と椿姫観音の祈願石

この前の浜松城や普済寺への寄り道が気分転換になったこともあって、またしても寄り道をしてしまいました。

今日の寄り道は雲立楠のある浜松八幡宮と、椿姫観音の祈願石を巡ってきました。それにしても家康の散歩道はスゴイです。知れば知るほど歴史が身近に感じられます。今までこんな史跡が近所にあったのに、何も気にしていなかったのが恥ずかしい・・・

 

 

思った以上に壮大だった浜松八幡宮の雲立楠

浜松八幡宮

広大な境内が目に入ってきて、やってきました浜松八幡宮。昔知人の結婚式で以来です。

浜松八幡宮

家康の散歩道の看板もしっかりとありました。

 

徳川家康公が駿府に移るまでは、浜松八幡宮を祈願所として幾度社参して武運長久を祈ったと伝えられてるようです。浜松城や引間城からもそれほど離れていないので、参拝しやすい距離だったんですね。

浜松八幡宮の雲立楠

奥へと進み、狛犬を抜けると右手に『雲立楠』が見えてきました。

 

楠の巨樹で、地上1.5mの幹回りが13m、根元回りが14mもあります。東西約21m、南北約23m、樹高15mです。幹の下部には大きな空洞があります。ここが家康が隠れたとされる洞窟ですね。人間が楽々入れる広さがあります。

浜松八幡宮の雲立楠

囲いがしてあるので、近づくことは出来ません。

浜松八幡宮の雲立楠

裏側から見ても巨木であることが分かります。

 

三方ヶ原の合戦で武田信玄に破れた家康は、天林寺の和尚に案内されてこの浜松八幡宮に逃れました。源義家の東伐祈願のゆかりの楠の洞穴に潜んで、武田軍の追手を逃れたそうです。

 

武運を祈願したときに、楠の上に雲が立ち昇り、神霊が白馬に跨がり、浜松城方面へと飛び立ったのを見て、勇気をもらって浜松城へと帰ったそうです。その後犀ヶ崖に布の橋を渡して多くの武田勢を谷へ落とし、武田信玄の浜松城への入城を防ぐことが出来たと言われています。

 

ちょっと身震いします!

浜松稲荷神社

古くから浜松八幡宮の境内末社として浜松稲荷神社が祀られていそうです。

東照宮

浜松八幡宮と縁深い徳川家康公をお祀りする社として正徳4年(1714年)に勧請し奉斎されたようです。

 

椿姫観音の祈願石に惹かれて

 

椿姫観音

浜松八幡宮から椿姫観音までは400mですので、すぐですね。民家の横にひっそりと祀ってありました。

 

引間城主飯尾豊前守乗竜の妻、お田鶴の方が徳川家康に攻撃されたとき、女ながらも懸命に戦い、侍女たちとともに討死して果てたと言われています。 

 

引間城落城寸前のさなか、緋縅の鎧に白柄のなぎがた、丈なす黒髪に純白の鉢巻きのお田鶴の方、それを取り巻く白鉢巻きにたすき掛け、刃を手にした18人の侍女の壮絶な戦いが繰り広げられたとのこと。

 

家康がこの地に亡骸を手厚く葬り祠を建て、その周りに100本余の椿の木を植えて供養をしたそうです。毎年椿の木が美しい花を咲かせたことから、椿姫塚と呼ばれるようになったとか。

椿姫観音の祈願石

みんなが触るので色が変わっている祈願石。

椿姫観音の祈願石

お堂を拝んだ後に、優しく石に触れながら心を込めて御祈願します。 

最後はやっぱり東照宮

元城町東照宮

 寄り道した後はやっぱり東照宮へ。

いつもと反対側の道から来たので、下から東照宮を見上げます。こうやってみると引間城跡だった面影がわかりますよね。

元城町東照宮

無事に元城町東照宮にお参りして、今日のウォーキングは110分コースとなりました。

 

台風の後でメチャクチャ暑かったので、しっかり減量できました~